クラブ創立55周年記念例会 2012.4.25wed -栗林公園-

掬月亭での記念例会
掬月亭での記念例会

 1957年(昭和32)4月26日に創立した高松南ロータリークラブは、今年55周年を迎えました。

55周年に記念例会は、創立以来クラブのシンボル的存在である栗林公園で開催、掬月亭で詫間行芳会長が点鐘し開会しました。

 掬月亭は、藩政時代には、歴代藩主が愛した大茶屋と呼ばれた建物で、江戸時代初期に生駒家によって建てられたと推定されています。掬月とは、唐の詩人于良史(う・りょうし)の春山の月夜の一句、「掬水月在手(水を掬すれば月手にあり)」からとったものです。

 クラブの準チャーターメンバーの太田英章パストガバナーは、創立時の特別代表佐々木礼三氏が、創立を祝って詠んだ一句「すくすくと今伸び立ちし松の芯 令山」を披露しました。松の細長い芽が天を指す様は勢いがあってよいというお祝いの句です。55周年記念の心づくしの馳走、抹茶を戴いて平成17年に寄贈した西嶋八兵衛顕彰碑の建つ商工奨励館講堂に会場を移しました。

 詫間行芳会長はクラブが創立して55周年を迎えた喜びを次のように述べました。

“我がクラブが日米花の友情交換で植樹した東門外と北門内側の花水木は白と桃色の花が今満開で55周年を祝ってくれているようです。

クラブでは、創立55周年記念事業として、「栗林公園名所かるたを制作して寄贈」「東日本大震災被災地へソーラー街灯設置」「クラブこの5年間の記録誌作成および創立50周年記念誌の増刷」を行います。我がクラブは創立以来、クラブのシンボル的存在として栗林公園とは縁が深く、これまでに花水木の植樹のほか香川の水の恩人西嶋八兵衛顕彰碑の寄贈、西嶋八兵衛自画像・陶板寄贈などをして参りました。今回は元禄13年の古図に描かれた園内の名所60景を「かるた」にするものです。制作が完了いたしましたら寄贈させていただき、公園の活性化に役立てて頂く予定です。

記念講演「栗林公園の魅力」 -高松市歴史民俗協会会長 津森 明氏-

津森 明氏の記念講演
津森 明氏の記念講演

 栗林公園は大正8年の国定教科書に「日本三名園(偕楽園、兼六園、後楽園)は素晴らしい、栗林公園はそれを上回って素晴らしい」と写真入りで出ました。これは国定の名園であるということで、これによって特別名勝にも指定されたのです。

 栗林公園は借景の紫雲山があって素晴らしいのであり、周辺も全部含めて栗林公園なのです。借景を利用する代表的な日本の公園です。背景の紫雲山がなければ、公園の価値は半減です。紫雲山の名前の紫は、聖徳太子が、五行思想の上に紫を足して、紫が一番良いとして色によって当時の役人の12階級を決めたのです。

 紫雲山は、昔この付近に紫雲山無量寿院という寺があってその山号から取ったといわれています。その前は馬背山と呼ばれていました。コトデンの三条の駅付近から見ると馬が横になっているような風景が見えます。

 また栗林公園が三名園と違うところは水が豊富であるということです。香川県は寡雨で雨が少ないところですが、園内には六つの池や滝もあって,水を巧に活用しています。当時の香東川は、現在の岩崎橋あたりから流れていましたが、それから北は平地で広い土地で地名が大野になっています。平らな土地なので大雨が降ると大野から北は湧水地帯で水が溢れていました。それを生駒藩の時代に西嶋八兵衛が改修をしたわけです。昭和45年に中野町に四国新聞社ビルを建てた時、地下から石が一杯出てきましたが、かつて河が流れていた証拠です。

 栗林は大正時代までは村であって、殿様の別邸がありお林という呼び方をしていました。現在コトデン栗林駅から公園まで来る途中に斜めに瓦町へ抜ける道がありますが、ここをお林(おはやし)と呼んでいました。

 栗林園の形が出来つつあった頃に,北門と東門が出来ました。18世紀の学者の後藤芝山が今の北門を嶰口(かいのくち)御門と詠んでいます。嶰とは谷間のことを意味し、栗林公園ができたころは北門のところはまだ谷であったということです。かつては北門が正門でした。

Club Banner
Club Banner

 クラブバナーのデザインは、創立時のテリトリーのシンボル的存在だった栗林公園の「箱松」とロータリーのエンブレムを組み合わせたものです。

 箱松とは、その名の通り箱のかたちを装った松。樹芸の粋を極めた箱松は、ほかには見られない特別名勝 栗林公園ならではの景観をつくっています。

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