那覇南RCと鎌倉芳太郎の足跡を訪ねて-2009年12月13~14日-

 2009年12月12日(日)~14日(月)の間、今回で3回目となった香川県人、鎌倉芳太郎の足跡と友好クラブの締結している那覇南ロータリークラブを訪ねる沖縄旅行に9人の会員・家族で行ってきました。

 13日(日)午後には元琉球新報社のジャーナリスト、野里洋先生に鎌倉芳太郎に関するご講演をしていただきました。

 野里先生は金沢市出身。学生時代から沖縄に強い関心があり、1972年の本土復帰より前に琉球新報社に入り、政経部、文化部、社会部の記者からスタートし、40年以上活躍している元ヤマトンチュー(本土出身者)。今はウチナンチュー(沖縄の人)。沖縄社会の特徴の話に始まり、独特の風土、習慣そして経済的にも苦しかった時代の中で行われた研究、残された「鎌倉ノート」や写真などの資料の素晴らしさのみならず、研究に対する芳太郎の見識、情熱、厳しさ、沖縄に対する愛など、たくさんのことを教えていただきました。

 また、今まさに旬の問題である普天間基地移転についても沖縄からの視線で、目からうろこが落ちるようなお話をいただきました。講演には那覇南ロータリークラブの皆様にも多数参加していただき、合同で勉強することができました。会場の設定や設営につきましては稲垣純一会長ご夫妻はじめ会員皆様に全てお世話になりました。ありがとうございました。

 この後、那覇南RC皆様のご案内で福州園を散策しました。福州園は中国福建省福州市と那覇市が友好都市である関係でできた庭園で、沖縄と中国との交流の歴史や政治への関わりなどを勉強しました。

 そして、講演会場でもあったラ・メゾン・クレール(フレンチレストラン)において、両クラブの会員約30名が参加した懇親会を行いました。心のこもった素晴らしい料理をいただきながら、想像をはるかに超える盛り上がりとなりました。おそらく大きなご迷惑をおかけしたのではないかと思います。

 14日(月)午前中、野里洋先生にご紹介いただいて沖縄県立芸術大学を訪れ、宮城篤正学長にお会いしました。

 学長は自称「鎌倉芳太郎の弟子」と言われるくらい芳太郎と縁の深い方で、驚いたことには名詞のお名前の部分は芳太郎の直筆を使わせていただいているとのことでした。直接に触れ合った経験を基にした貴重なお話をいただきました。

 芳太郎の研究に対する姿勢や資料の保存、保管に対する厳しさ、また、重要文化財に指定された「鎌倉ノート」を同大学で実際に保管し、分析している様子など、たくさんのことを教えていただきました。

 そして12時には、那覇南ロータリークラブの例会場であるパシフィックホテル沖縄で、例会に出席しました。

 例会では当クラブの田中弘之副会長と豊田章二直前ガバナーから、高松南ロータリークラブの現況報告や今回の訪問に関してのご配慮、昨年4月に高松で開催された第2670地区地区大会に那覇南ロータリークラブから15名もの会員家族に参加していただいたこと、さらにはその時に朱秋龍RI会長代理ご臨席の厳かな雰囲気の中で友好クラブ関係締結しことなどについてのお礼を述べました。

その後のプログラムでは佃昌道会員による「讃岐のお話」というテーマで、讃岐三白の砂糖やうどんの話を中心として香川の歴史や文化の紹介を行いました。

 那覇南ロータリークラブとの交流もこれで4回目となってお互いに顔なじみも増え、肩の力が抜けたお付き合いができたように感じます。

 今後の鎌倉芳太郎に関する勉強と顕彰活動、そして両クラブの友好関係が益々発展するための大変有意義な訪問となりました。

-報告 堀 祥二-

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 クラブバナーのデザインは、創立時のテリトリーのシンボル的存在だった栗林公園の「箱松」とロータリーのエンブレムを組み合わせたものです。

 箱松とは、その名の通り箱のかたちを装った松。樹芸の粋を極めた箱松は、ほかには見られない特別名勝 栗林公園ならではの景観をつくっています。

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