2014-15 WEB週報8月度

8月6日(水) 第6回例会

増尾茂之会長挨拶

 8月6日第6回例会です。今日は夏土用明け、明日は立秋です。初めて秋の気配がほの見える頃といわれており、暦のうえでは秋です。明日以降は夏の名残りの残暑といいます。ですから「暑中お見舞い申し上げます」は今日までで、明日からは「残暑お見舞い」になります

 

今日の卓話は先般、世界遺産に指定された官営富岡製糸所についてです。社会人1年生の配属先であり、この工場の敷地内で独身・新婚生活をおくり、長女が生まれた、創建当時のままの建物や,そこで繰られた一本の糸、活づくられた一綛に今は衰亡してしまった製糸産業への想いについて、プログラム委員長のご好意により語らせていただきます。

 

先々週の四国新聞の記事に岡職業奉仕委員長が災害援助協定書を県知事と交わしている記事が写真入りで掲載されていました。私たちの仲間が公私にわたるご活躍の様子を拝聞するのは気持ちのいいものです。お互いに奉仕の活動をさらにすすめていきたいものです。ご協力ください。

 

卓話「富岡製糸所/世界遺産」  増尾茂之会員

 

 

 

明治新政府が上州(群馬県)富岡の地に製糸場を設立したのは,全国各地にヨーロッパ式器械製糸の普及をはかり,世界の生糸市場で通用する良質な生糸を生産することで外貨獲得をはかり富国強兵国家建設でした。維新政府の意図は

 

いと車 とくもめくりて 大御代の 富をたすくる道ひらけつゝ

 

とる糸の けふのさかえを初めにて ひきいたすらしい國の富岡

 

の御歌(明治天皇の御内示による照憲皇后、英照皇太后の行啓に際して詠まれた)に表れています。

 

  明治維新直後,フランス人技師ポール・ブリュナを迎え,1872年( 明治5年 ) に工場完成・操業を開始した。この製糸場は,その後明治26年に三井に,明治35年に原合名に払い下げられ,昭和14年からは片倉製糸紡績 ( 現片倉工業 ) 富岡製糸所として操業、昭和62年工場休止となり,その建物は歴史的な文化遺産として保存されています。

 

近代日本産業の礎石を築いた旧富岡製糸場は130余年間輝きに満ちて歩んできた歴史を有しており,2014年6月、ユネスコ世界文化人類遺産に登録されました。

 

この富岡製糸所で、社会人第一歩を踏み出せたことを大きな誇りと思っています。工業的製糸技術の取得、労務管理、企業経営、独身寮生活、結婚社宅生活等々公私にわたり学びました。わが人生の基礎は富岡にあり、です。

 

富岡製糸所の敷地は55,629㎡(16,798坪)工場建物141.8m×12.6m×11.8(36cm角柱)、東西繭倉庫104.4m×12m×14(33cm角柱)、ブリユナ館、23号館はすべて瓦葺き木骨張壁構造で壁が赤レンガです。レンガは富岡近郊の瓦職人が国内で初めて焼いたものです。鉄水溜(貯水槽)は当時の造船技術でつくられたリベット打ちです。雨上がりの洗い流された黒瓦・赤レンガ造りの壮大な建物は、欧米列強と伍せる近代産業国家を目指した明治の息吹が感得できます。

 

Club Banner
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 クラブバナーのデザインは、創立時のテリトリーのシンボル的存在だった栗林公園の「箱松」とロータリーのエンブレムを組み合わせたものです。

 箱松とは、その名の通り箱のかたちを装った松。樹芸の粋を極めた箱松は、ほかには見られない特別名勝 栗林公園ならではの景観をつくっています。

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