週報2009年12月分

客話「ベルリンのかべ崩壊とその後」

 

 香川日独協会名誉会長  中村 敏子氏

 戦後ドイツは米英仏とソの4カ国による占領下におかれた。その後の東西冷戦の激化と市民生活格差の拡大が、1961年8月13日にはじまったベルリンのかべを生み、東側の政治経済体制の行き詰まりと西ドイツ政府の「ひとを動かす」地道な外交努力が1989年11月10日以降のかべの崩壊となった。かべ崩壊(Mauerfall)は東欧革命を象徴するものです。統一ドイツの首都を西ドイツのボンからベルリンへの遷都はドイツ人の民族意識を高揚させた。連邦議会で遷都の議決に際して戦後久しく遠慮されていたドイツ国歌1番(Deutschland über alles in der Welt)が唄われた、というエピソードが語られている。

 ベルリンの壁を生み、28年後に崩壊させたものは、ソ連衛星国家経済に組み込まれた東ドイツ経済の儘ならない復興、特にソ連の戦争賠償要求は執拗を極め、水力発電所の諸設備から鉄道レールや電線までの持ち帰りは疲弊した経済を引きずり東西の格差を拡大しつづけた。結果して統一後の通貨交換率は1:4から1:20まで拡大してしまい、今なお統合したドイツ国家経済の桎梏の1つとなっている。特に旧東ドイツ市民の一部にはアンシャンレジィーム意識が芽生えている。それは旧東ドイツに止まらず、ハンガリーやポーランド等東欧(旧ソ連衛星国家)諸国にも波及している。

「かべ崩壊から20年」のDVDの前半部(時間の関係で)を鑑賞した。

 

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